吾妻ミイナ-KICKY

KICKY's blog

ありがとう、そしてさようなら

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3月が駆け足ですぎて、気がつけば4月。

これもはじめたい、それもはじめたい、でもあれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、それもやらなきゃ…どれからやれば?

 

新年度はみんな忙しいもんね、踏ん張るしかないんだよね。

発達系(by老松克博『人格系と発達系』)しかいない我が家ですから、もうそれはそれは、環境変化に大ダメージを各々がくらっておりまして、Living in chaosでごさいます。

ひとつしかない"発達系の王座"はできれば家庭の中では子どもに譲ってあげたいものですが、まぁいかんせん、ねぇ。

うっせーーー!耳いてぇわ!!!

 

新年度、きれいさっぱりスタートをきれるかなと思ったら、まだ、持ち越さなきゃいけないことがあったりで、なんとなくスッキリしないんだけれど、生きやすくするための手帳だったり赤いノートだったり、こちょこちょグッズを揃える元気は出てきたようで、あーそうそう、私には、こういった精神的・物理的な荷物の整理整頓グッズがないと一歩一歩を踏み締められないのよね、と改めて。

 

せめてほんとうに、いきいき、いきたいもん。

 

ところで私はゴキブリにご縁があってね。

小学生の頃は、塾で仲のいい子と「おやじ!」「ごきりん!」と呼び合ってた(悪意はない)。

拾得でワンピースの背中に、それはそれは巨大なゴキブリちゃんがINしてしまって、背中をはわれて大騒ぎしたことも。

 

そして、あらたに昨夜、腕を這われて、すったもんだの末、手で握りつぶしてしまったよ(半殺し)。

 

痛みがあって、手を握ったらにちゃあってした、という。

そう、ゴキブリて素肌に触れるとちょっと痛いのよ。

噛まれてはないとはおもうんだけど。

 

ゴキブリのようにしぶとく生きるわ。

「俺はしぶてぇぜ!!!」てな。

 

2023年度ありがとう、そしてさようなら、新たなステップへ。

難を転じて福となす

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COVID-19になりました(一年半ぶり2度目)。

 

こびと、とか可愛い感じするけど、ちっとも可愛くねぇ、しんどいってコロナ。

軽症ですむひとが羨ましくもある、ワクチン・本家ともに毎回しんどい私。

今回は40℃超えしなかったからマシだったけど、それでもやっぱり39.8とか。酸素飽和度もなぞに下がっちゃって、一時期93〜96%に。あれ?患者さんでしか見たことねぇぞ、この値…という。

NSAIDs、浮腫んじゃうから飲めなくなって早幾年…(イヴプロフェンもとうとう近年ダメになってきた)。カロナールには抗炎症作用ないしさ、頭痛良くならないしさ。

 

…もうここんとこほんとずーっと、病、でため息でちゃう。

去年は家族の病にやられることが多くて、あぁほんと本厄怖いな、弱いところにでるんだな、とか思ってて。

2月になって、立春もすぎ新年ですね、後厄ですから少し楽になるかなと思ったら、今度は私がアデノ→コロナ。久々に嘔吐したよ(基本健胃)。

 

それでもやっぱり、この先に光が待っているのだと願わずにはいられない。

ひとは、ヒューマンビーイングは、向日性を基本的に備えていると私は信じているからね。

 

…いったいいくつの"信仰"が私にはあるのかな、とふと考えたりする。

そしてそれは本当に信じてよいものなか、と見つけては疑ってみたくもなる。

だけどすごいね、幼い頃から染みついたものは、疑うことすら許されないような趣があったりして。

 

いったいいくつの事柄を、あるいは教えのようなものを、私は本当に経験して、そして信仰へと昇華させているのだろう。

サムシング・グレート(by村上和雄)はいる、ある、ということだけが紛うことなき真で、理で、あとの多くは単なる…願望だったり信念だったり…?言葉のチョイスは本当に難しいね。

 

正しさってなんだろうね。

私は本当に、人様に顔向けできないような不道徳な人間だけど、少しでも善くありたいと思っている、から、転じて転じていくことがきっと大切。

 

芯食らって生きていきたいね。

 

とりあえず、はやく元気になりたいです…。

 

 

 

Circulation

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私は裏側のがうんと好き。

 

あけたね。

今年もよろしくね。

 

大きな震災、どうか少しでも苦しみが少なくありますように。

 

2024年、やっと後厄になったよ。

ねぇほんと、30代の女性、厄年が6年もあるなんて信じられる?

ラストの後厄にやっとたどり着いたんだわ、という感慨。

 

厄年なんて信じていなかったけれど、大厄も大概だったし、昨年もなかなかのものだった。占いは統計、本当にそうなのだろう。厄年は"気をつけなさいよ"と、統計的に出ている時期なのだろう。

 

これから迎えるみんな、気ぃつけな。

大難が小難になるように、気ぃつけな。

 

ここのところ、というかここ一年?いやもっとか?、私はインプットができない、インプットが足りていない感が強い。本は読めないし、音楽は聞けないし(…勉強が、研究ができない大学院生てまじやばい)。

 

疲れ切ってしまっている、はもちろんその通りで、ちょっとやっぱりお祓い必要なんじゃ…って感じではあるのだけれど、そこじゃない、本質はそこじゃないのだろう、ということに気がついた。

 

アウトプットが足りてないんだよ。

リビドー腐っちまってんだよ。

 

…子育て期てけっこうそうなりがちな気もするんだが、みんなどうしているんだろう。

 

ところでなぜ、私は子育てという課題を課せられたんだろう。

自分の代で課題(因縁でも業でもkarmaでもなんでもいいが)が解決できなさそうな時、子どもが訪れる、なんて聞いたことがある。

私があまりにも自分の課題に向き合わないから、子育てという課題に神さまは変更したのだろうか。

子どもに先祖代々続いている問題を引き継ぎたくはない。だけど一緒に暮らす以上、ゼロにはできない。可能な限り引き継ぎを減らしたい私は、私の課題と向き合わざるを得なくなる、という。

 

日々ありあまるリビドー、腐っていくリビドー、私は何を頑張れば、何を頑張らなければいいのか、よくわからないまま、なんとか生き延びているばかり。

 

循環。

 

…やっぱりさ、毎日快便って、本当にこの上ない幸せなことなんだと思うのよ!

 

あっという間に師走

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11月、乱れに乱れて過ぎてしまった…!

 

でも意外なことに、内向力…いや、何をもって内向とするのか、私には皆目検討もつかないのだけれど…が私に舞い戻ってきた感がある。

 

そのキーとなったのは、自分で自分を満たすのだ、という決意だろうか。

 

久しぶりにマッサージに行った。もうどうしようもなくて、アロマトリートメントに行った。もう本当に普通のその辺のマッサージ屋さんに、ふらっと寄った。

 

私的には思ったよりは凝っておらず、マッサージというより、本当にtreatmentされた気持ちで、私の何かがゆるまって、解けた。

 

それだけじゃなく、友人たちのまなざしに暖められた、ということもあるのだけれども。

 

久しぶりに、風呂を楽しむことできるようになった。

私には、ここのところ作業でしかなかったから。

 

私は人より多分、ケアの量・質が必要で、お金がかかるタイプなのだな、ともう観念した。

ミニマムには暮らせなさそう。憧れるけれど。

 

苦しいことも多いけれど、私は人の出会い、そして繋がりといった類のものに本当の意味で恵まれているなと思う。友人たちはもちろんだけれど、師匠たちや、主治医たち、私の伽藍堂には、ちゃんと伽藍神が祀られている感じがある。

 

師走だ…

私は、教授に今年は一回研究について無理をしないとお伝えした。

 

きっと師走もあっという間なんだろうけれど、私はとても楽しみだ。

オナジアナノムジナ

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何を大切にするか。

諦めが肝心と言う言葉が残り続けているのは、やっぱりそれが肝心な時もありますよ、ということであって。

 

ないものねだりでいるからね。

 

最近はほんとうに疲れてしまっているけれど、それを上手に表現することができない。

 

豊かな感情もいつもしまい込んでいて、そしてしまい込んでいることも悟られないように振る舞って。

 

倒れそうだから、崩れそうだから。

 

みんな処世術なのよね。

 

だからといって、全てに寛容である必要もない。

 

勇気を少し、いやかなり振り絞ってでも、同じ穴から抜け出したいなと思う朝。

呪いが爆ぜるとき

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Doppoというカレー屋さんがあったのね。もうなくなってしまったと聞いて、写真をUP。凝っててすごく美味しいカレー屋さんだった。

そうDoppoなの。懐かしくて涙が出ちゃう。

 

先日、私が京都から避難した時に持ってきた調理器具たちのひとつ、ぶんぶんチョッパーが壊れたので新調した。

 

…ぶんぶんチョッパー、それは離乳食作りの神…!

 

育児の頼れる相棒のひとつであり、包丁以外のもので食べ物を切ると、味が悪くなる、愛が足りない等々責められてしまっていたあの時代の、私のレジスタンスの証でもある大事な道具。

 

離乳食が終わって以降、ピラフ作りだったり、大阪にきてからも大活躍してくれた道具が壊れてしまった。

 

レジスタンス、お守りを持たずとも、心に染み込んだのだろうか。

 

私が、様々な場面でレジスタンスできていたのは何故だろう。

されていたことの程度、とかはあるのかもしれないけれど(軽く見積もるのが癖になっているけれど、どもりながらほんとのことを話すと、だいたいみんなひく、程度のことではあるらしい)、

もうそんなことは明白すぎることで、友人に恵まれていたから、そして歌うことができていたから、私が私を保つ時間、私が好きな私でいられる時間を持つことが少しでもできていたからだ。

 

私が私でいられる時間をなんとしてでも確保すること。

私が私をちゃんと信じてあげている部分を残存させること。

それらがとにかく肝要で。

 

仕事でそれを満たすというのは、ほんとうの意味で望ましい形ではない。でも、そういう側面があることを、ちゃんと頭に置いておいて。

 

私を生きるってなんだろう。

 

私は父に捨てられた。

だけど、大人になって、再会して、そしてキーパーソンなんか請け負っている。

 

色々な感情が渦巻く。

恨みがないといったら嘘になる。同時に、父が逝ってしまうことは、とてもじゃないけど抱えきれない、とも思う。

 

グレーを抱えて、選んでいく。

グレーの内容物をきちんと見定めて、抱えて、選んで、進んでいく。

 

呪いは爆ぜるためにある。

 

 

 

 

 

分かち合うこと

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9月はほんとうに、苦月だった。

馬力を無理やりあげるために、附子を重ねて重ねて重ねて、いるよ。

 

死にたいってふとした時に思うけど、それはやっぱり一生染みみたいに、ついてまわって消えない思いなんだけど、時折誰かに聞いてほしいときがある。

 

死にたいよぉ、って誰かに。

あっ、もちろん、not just anybodyよ?HELP!I need somebody〜♪

 

そんなときは死にたいほど辛いことを誰かに知って欲しくて。

奥には少し、一瞬でいいから、少しでいいから、荷物を一緒に背負ってほしいって気持ちもあるんだろうけど、とにかく知って欲しいのよね。

 

知って欲しい。

知ってもらってどうなるの?

なにか状況は変わるの?

 

変わらない、変わらないのだけれど、誰かに私が辛いということを、しんどいということを、認めてもらうことが要るんだろう。

自分では認めれなくなるから、不思議なことに、辛い時ほど、しんどい時ほど、それを認められなくなるものだから。

分かち合う、共有すること。そのものはできなくても。

 

苦月。

苦しいと苦いはなんで同じ漢字なんだろうね。辛いと辛いもだけど。

 

でもね、とても幸せな長月でもあったのよ。

巡ってくること、分かち合えること、は予定的な調和でもあって、とても、心地よいものだって、改めて。

 

そしてやっぱり、今の私には、どっぷりした、濃度の濃い夜が必要だと思う。