獲得のよろこびは、長くは続かない。吾妻ミイナです。
おチビは、"イマジナーおチビ"と前の保育園であだ名をつけられていたのだけれど。
今の保育園では、そのイマジナーさを思う存分発揮できているのだろうか?
私も幼き頃、イマジネーション遊びに没頭していた。
机の引き出しで子猫を飼い、お腹が空けば、空想の食事でお腹を満たしていた。(現実世界で小食だったのは、きっとそんなのも理由なんだろう)
私たち、大人の空想遊びを阻害するもの、ブロックするものはなんだろう。
空想といえど、現実にちゃんと根付いたものを、好き勝手に動かしてあそぶ、それだけのことなのに。
そんなわけない
そんなわけない
と唱えて、
諦めと恥じらいで覆い隠して。
現実検討能力が欠如してしまったものは、妄想と呼ばれるけれど、目を瞑ることも、大切なことだろう。
空想はひとつの、現実社会のイメージトレーニング。集中よ、執着よ、生命のダンス。生きろ、そなたは美しい。
わたしは何をのぞむ?
わたしはどうありたい?
そして、わたしは何に傷ついた?
こたえはそこに。
子どもも大人も、みんな複雑で、アンビバレントさこそが、人間たる所以なのだろう。
みんなぜんぶよくわからねぇ!から、わたしだけでも、わたしをわかりたい!そういうこと、だろう。