ここのところ、久々にコトコトしているの。コトコト煮込んでいる。コトコト煮込むのをお手伝いしてもらう、そんなときめきトゥナイトでした。
(ゼミメンバーで飲んだ。えぇ、ユングの心理学が好きなみなさんですよ。)
ひとつ手放したことが、大人になろうという決意。
きっと年相応に充分大人になれている面もあって、なれない部分を、そろそろ対処方法を変える時期なのかしら、と思ったのだけれど、そっちではないみたい。
そして、私はまたきっと、通過儀礼を受けるときはあるのだけれど、若い頃ほどのもの…といったら語弊があるな…若い頃のものと違った形になるし、恐れなくていいのかな、と思えた。軽視って意味ではなく。
みたくないものってもんは、ブロックがかかっている、と感じるものだけでなく、ブロックすら巧妙に見えなくなっているものもある。
ねぇ、どう見つけだすかって、自分ともだし、他者と対話すること、しかないのよね。
他者は、自分をうつす鏡でもあるし、何かを伝えに派遣された、ありがたき拝借物。
人間が好きだ。私もずいぶん人間になれたもんだ。驚き桃の木山椒の木!