最近若干のラルク再ブーム、ミイナです。
若い時に仕入れたもの、てほんとうに澱みたいに残るから、大人が「若いうちになんたら」みたいに言うのもわかる気がする昨今。
それでね、老若男女関係なく昔から、私の人との結びつけ方、みたいなものは割合"恋"に近しいものなのかもな、なんて思うの。
好きなひとは好き、嫌いなひとは嫌い!がすごく極端なのかなって。好きなひとには好きなことを示したくなるし、嫌われたくないし、嫌いになりたくない。
そんな感じが恋に近いのではないか、と思ったり。
(昔よりはその激しさは落ち着いたと思いたいけど。グレーを愛せるようにはなったと。)
怖いと恐い
寂しいと淋しい
悲しいと哀しい
すごいね、ニュアンスの違い。日本人はネガティブ好きだね、間違いなく。
そんな日本生まれ日本育ちの私はたぶんいつも、淋しくて哀しい。たまにとても怖くなる。
前世から淋しさを受け継いでると今でもやっぱり思うけど、淋しさではなくて才能だと昔占い(厳密には占いじゃないんだと思うけど)で言われたっけ。
才能ってつまりは、得意なこと、よねと思うと、わかる気もする。
然し乍ら、この淋しさは?
だからね、大人になることは、捨てていくこと、諦めていくこと、とよく言われるし、お別れしてることもたくさんあるとも思うけど、
淋しい哀しい気持ちとずっと暮らす私はどんどん欲深くなって、どんどんたくさん好きを集めたいし、集めようとする。つなぎとめたいと思う。
全部あきらめたくない。
と、昨今ほんとにパンクしかけてるのだけれど、もうまさにパンクでいいじゃんな。うまれてきてごめんなさい!