9月はほんとうに、苦月だった。
馬力を無理やりあげるために、附子を重ねて重ねて重ねて、いるよ。
死にたいってふとした時に思うけど、それはやっぱり一生染みみたいに、ついてまわって消えない思いなんだけど、時折誰かに聞いてほしいときがある。
死にたいよぉ、って誰かに。
あっ、もちろん、not just anybodyよ?HELP!I need somebody〜♪
そんなときは死にたいほど辛いことを誰かに知って欲しくて。
奥には少し、一瞬でいいから、少しでいいから、荷物を一緒に背負ってほしいって気持ちもあるんだろうけど、とにかく知って欲しいのよね。
知って欲しい。
知ってもらってどうなるの?
なにか状況は変わるの?
変わらない、変わらないのだけれど、誰かに私が辛いということを、しんどいということを、認めてもらうことが要るんだろう。
自分では認めれなくなるから、不思議なことに、辛い時ほど、しんどい時ほど、それを認められなくなるものだから。
分かち合う、共有すること。そのものはできなくても。
苦月。
苦しいと苦いはなんで同じ漢字なんだろうね。辛いと辛いもだけど。
でもね、とても幸せな長月でもあったのよ。
巡ってくること、分かち合えること、は予定的な調和でもあって、とても、心地よいものだって、改めて。
そしてやっぱり、今の私には、どっぷりした、濃度の濃い夜が必要だと思う。