「感情を捨て去ることはなく
感情に飲み込まれることもせず
ただ歩く、ただ歩く
私は歩く、歩く
信じて歩く
私は行く
時に泣き叫びながら」
教育分析の帰りにたまに買ってくる、宇治抹茶蒸しパンが好きすぎるおチビ。
昨日は、精神科看護のボランティアがあって。帰宅してからどんなことしたか話すのだけど「先生(と言っても教育分析の先生ではない)に会ってきたよぉ」と言うと、「じゃあ緑のぱんぱん買ってきてくれた?」と。
…今日は教育分析DAY、ちゃんと買ってきました。
大きな決断をしてはじまる、センチメンタルジャーニー。
私はどうやら無意識レベルでも傷だらけになってしまっているのだということ。
自分は傷ついているのだと認めることを、私に許すことができない私がいるということ。
私は何を感じているのか、をちゃんと伝えられたらいいのにね。
ほんもの、の一部を切り取って、嘘ではないけれど、熱感のない言葉、を扱いすぎていたこと。
肉体から離れた言葉を吐き続けると、洞穴は大きくなる。そして、その空洞に膿がたまっていく。
言葉はその全てを表さないとわかっていても、受け取るときには、言葉に翻弄されすぎてしまう、くらいには、傷だらけで、過去の傷も癒えずに膿んでしまっていて。
ためこんだものは、緑色なのかしら、黄色なのかしら、あるいは赤色のまま…?
私のエネルギーの源を、私は知っている、のだから、それを活かすことに意識を集中させるといいのだろう。
私は全て諦めたくない、不可能を可能にしていきたい。
私はまるで、除夜の鐘だと、友人に言われたこと。
あとは、ケ・セラ・セラ、流れにまかせればいいのよね。
太陽がとてもきれい。