Not just anybodyだけどね。
幼い頃、型抜きだったり、射的やくじ引きよりも、私はあんず飴やソースせんべいを選ぶ子だった。確実に満足を得られるものを、と思っていたの。
プロセスが楽しいとかいらないから、すぐにまちがいなく私を満たしてくれるものがいい!そうすぐに!
角砂糖をぼりぼり食べちゃうくらい、私はいつも確実で即効性のある満足を求めていたように思う。
…最近、和三盆をいただいて、久々に砂糖をそのまま摂取してたりするんだけど、がっつん!くるね、あれは。角砂糖の箱食いとかしてたの、マジで信じらんない。
なんだったんだろうな、って思う。
痺れさせていないと、立っていられなかったんだろうな、なんて思う。
そんな私だけど、昔からお喋りは大好きで。
本質はちっとも外向的じゃないけれど、お喋りはクセになる。遅効性なのにクセになる。
しみじみ、楽しい時間を誰かと過ごすのがたまらなく尊い…!
点と点、瞬間と瞬間が線になって幸せなところが、お喋りの素敵なところ。
誰かをわかりたいし、なにより誰かにわかってほしいっていうのは、きっと根源的な欲求なんだろう。
エーリッヒフロムのいう、融合、欲ね。
『だれしも世界を所有していて、融合することはないけれど』ってな。
人と接すること、はやめちゃいけないなと思う。
依存症は孤独の病とはよくいうけど、
私のシュガーホリックは、やっぱり淋しい時に激化するんだと思う。
体重が爆増え、妊娠以外でこんな体重みたことない、状態の今は、きっとちょっと淋しかったんだろうな。
(お薬の影響が多大なところもあるんだけれど)
そして、よくわからないところにエネルギーを奪われてしまって、とにかく疲れ切ってしまっている悔しさ。悔しくて悔しくて悔しいんだ私は。共通言語がないって今更ながらに気付いたときの絶望感たるや。
だからこそ、ほんとうに軽やかに、時に真剣にお喋りがしたいんだ。